02DTPの流れを日本に導く~一歩も二歩も先を見る目が時代を切り拓いた~

20th

DTPの流れを日本に導く

第2回は、物語の時計の針を少しだけ戻し1980年代末に遡る。

国内最大手のデザイン機器・材料販売会社の営業として抜きん出た成績をあげていた藤田であったが、日頃から収集しているアメリカの現状を聞くにつけ、危機感を募らせていた。

そんなある日、同社の各支店を代表する営業が日本全国から集まる『デジタルOA機器販売全国会議』が開かれた。藤田は会議の席で自らの考えを全員に投げかけた。

「今、アメリカのタイプ・デザイン業界には大革命が起こっている。そのうねりが日本まで及べば、従来のような用途を絞った専用機でなく、一台で全てが完結する汎用機がビジネスの中心となるだろう。デザイン、印刷業界全体が大きく変わる、今はまさにその転換期だ」

だが、それは当時の日本で口にするにはいささか斬新すぎる意見だった。会議の出席者たちは、今ひとつピンと来ない様子で、目を丸くしたまま互いに顔を見合わせるばかり。出席者の一人は、Macintosh Plusの画面を指してこう言った。

「こんな小さな画面で、本当に全てが完結できるのか?それに、汎用機は売れたとしても数十万程度にしかならない。それより、大型で値も張るOA機器を今まで通りに販売していく方が確実ではないか」と。

藤田ははっきりと答えた。

「いえ。大画面のモニターと接続できるMacintoshも既に世に出ています。現時点で、実際に数件納入した実績もあります。価格は、一揃いで最低500万円ほど。採算が取れないということはないでしょう」

その言葉に、それまで黙って耳を傾けていた役員が反応した。

「藤田、その話、詳しく聞かせてくれないか」

それが契機だった。この会議からわずか1年も経たないうちに、同社の主力商材はDTP関係の機器に取って代わった。藤田の先見の明と熱意が、会社の大きな変容を促す力になったのである。

こうして、MacintoshによるDTPは着実に広がり始めた。

しかし、同時に新たな課題も見えてきた。導入したものの、多くの人はMacintoshというまったく新しい機材に初めて触れるため、機能を使いこなすことができず、供給側のサポートが追いつかない事態に直面したのである。サポートの専任をつくり教育・サポートをさせたのだが、あっという間にパンク。さらに購入した人達から、質問の電話が嵐のようにかかってきた。

そこで藤田が考えたのが、Macintoshの使い方を学ぶスクール開設と最新情報を伝える会を頻繁に開催することだった。その名も、「Macユーザー会」。スクールはマニュアル制作から始め、徐々に強化、勉強会や作品展、ソフトメーカーなどを呼んでセミナーも開催した。

勉強会には毎月数百名が集まり、ユーザー同士が顔を突き合わせて試行錯誤を重ねながら、最新鋭の技術を身につけていった。

あわせて藤田は、写植業界や製版会社への働きかけも積極的に行った。「これからは、一台ですべてが完結できる汎用機の時代、DTPの時代です。この将来性を信じて、DTPの出力センターを始めてみませんか」。結果的に、この呼びかけに応じた企業が、時代の流れに遅れることなく生き残ることになる。

その後の世の中の動きは、既に知られているとおりである。懸念されていたMacintoshに搭載される日本語フォントのバリエーションも増え続け、機材と共にソフトウェアもめざましく進化。デザインと印刷の主流はDTPとなっていく。

TERAを創業した後も、藤田の目は時代の先を見つめ続けていた。インターネット時代の黎明期、ようやくモデム経由でメールが送られるようになったころ、すでに、現在のプロバイダーやシステム会社に向けての講演を行っていた。

「いずれ、写真や動画データもインターネットを通じ、ストレスなく見ることが出来、瞬時に送られる時代が来ます。」そう言いながら2台のパソコンを並べ、1~2秒の動画データを30分近くかけて送って見せた。その先にまったく新しい世界がつながっていると信じて。

デジタル主体の時代に向けて、業界はもちろん社会全体が大きく舵を切った。全国会議の席で、藤田が確信をもって語った、まさにあの筋書きの通りに。

  • 当時のMacユーザー会の様子
  • 当時の勉強会の様子