藤田は、プレイングマネージャーとしてまさに油の乗り切った時期を迎えていた。それまでも各メーカーの歴代販売記録を大きく塗り替え、全国販売促進年間優勝、キヤノンOA販売3期連続全国優勝など、数々の全国コンテストで入賞。そんな藤田に、ある日、本社から辞令が下った。
「東京にある営業所の所長を任せたい」
その営業所は同社最大規模の拠点。願ってもない話だった。挨拶のために現地に出向くと、役員方から「これは、役員候補としての次へのステップが見えたと言うことだ」と、嬉しい言葉をもらった。新卒で入社して15年以上、「骨を埋める」と言う覚悟で愛し続けてきたこの会社、しかも東京という舞台で飛躍できるチャンスがついに巡ってきたのである。
だが、その時脳裏に浮かんできたのは、藤田が立ち上げた「Macユーザー会」の仲間といつも交わしていた会話だった。
「今、社会はアナログからデジタルへの転換期にある。これからの時代は、我々にできる幅が大きく広がるはず」
「直接、クライアントが抱える課題を聞き出し、自分たちのクリエイティブで解決できるような新しいスタイルの会社が求められるのではないか」
「それは、最先端のデジタルに関わっている我々だからこそできるはず!挑戦してみる価値があるのではないか」
Macユーザー会に集まった熱い志を持ったメンバー達と、こうした話し合いを日々重ねていたのだった。
ある日、いつものようにMacユーザー会に顔を出した藤田はメンバーに言った。「実は、東京に来ないかという誘いがあった。」すると、返ってきたのは、「藤田さんがいなくなったら、この会は自然解散する。我々がネットワークとして力のなるので、このまま名古屋に残って全国から大きな仕事を取ってこれるような会社をつくって欲しい」という言葉だった。
今、何をすべきか。
東京に行くか、新しい挑戦のために名古屋に残るか。
二つの道の間で藤田の気持ちは大きく揺れていた。
1995年1月17日。
藤田に決定的な影響を与える大きな出来事が起きる。阪神・淡路大震災である。
崩れ落ちた高速道路、倒れたビル群から轟々と立ち上る火柱、悲しみにくれる人々の姿・・・。衝撃的な現実を伝え続ける画面を呆然と見つめながら藤田は考えた。
「命のともしびは、いつ消えてしまうか分からない儚いものなのだ。人生最後の日が仮に明日だとしたら?自分は後悔のない人生だったと胸を張って言えるだろうか?」
そう考えれば、答えは出ているも同然だった。藤田にとっての、「明日死んでも後悔しない人生」。それは、Macユーザー会に集まった、志を同じくするメンバーとともに、互いに支え合いながらまだ見ぬ地平を目指すことだった。
迷いが消え心は決まった。
それから2ヶ月も経たぬうちに、藤田は10万円の軽自動車を購入し東奔西走していた。「この赤い軽自動車が自分のオフィスだ」。基盤はMacユーザー会などで培ってきたデザイナーを始めとする多彩な人脈=ネットワーク、自身の経験に基づくビジネスとデジタルのノウハウ。これらを武器にあらゆる課題を解決していく。
こうして、藤田は新しい人生の第一歩を踏み出した。
企業にとっての「真のパートナー会社」となるその日を目指して。