その日、藤田は某企業からの依頼で講演を行うため、会場へ向かっていた。
様々な協会や企業、学校などから講演を依頼されることが多くなっていた藤田だが、今回は講演当日を迎えても、話すことがなかなかまとまらなかった。
その理由は「藤田さんの人生を語ってほしい」という今回のテーマにあった。
Webの話なら慣れているが、自分の人生か・・・。何から話せば良いのだろうか?
聞きに来てくださった方々にとって役に立つ講演、満足いただける講演にするためには、どのように話したら良いのだろうか?
藤田はまだ、「何を、どのように伝えるか」を迷っていた。
しばらく前の講演が頭をよぎる。
「Web業界について」というテーマでの講演を依頼された時のことだ。
当日、会場に入った藤田は、その広さに圧倒された。この会場の最大収容人数は、約500名。広い会場で講演ができることに感謝しながらも、その時はまだ、席はそれほど埋まらないだろうと考えていた。
ところが、いざ壇上に上がったときに藤田が目にしたのは、広い会場を隙間なく埋め尽くす多くの聴衆の姿だった。空席は見当たらず、500名の目が全て藤田に向いていた。
これまでは数十名規模の会場での講演が多かったため、これだけ多くの人に一度に注目されるのは初めての体験だった。得意なテーマなのに、喉は渇いて舌が張り付き、声が枯れそうになるほどの緊張が襲う。
それでも、足を運んでくださった方々のために良い講演をしなければと気持ちを切り替え、内容がより良く伝わるように懸命に話した。
そして、話し終えた瞬間に伝わってきた500人分の大きな拍手の音と熱気は、今でもはっきり覚えている。
さあ、今回はどうする?
投げられたテーマは「自分の人生」。
50年余の人生はまさに山あり谷ありだった。そこで起きたことすべてが積み重なって今の自分がある。一つひとつの経験は貴重な財産であり、自分以外の人にとっても何かのヒントになるのではないか・・・。
藤田は顔を上げて「よし」と頷いた。
今までの人生を、ありのままに伝えよう。
会場に到着して主催者と言葉を交わす。今回の講演会の参加人数は、300名以上とのこと。
事前に案内メールが社内に回っただけで、これほど多くの人数が集まったという。
藤田は一度深呼吸して、一人ひとりの目をしっかりと見ながら話し始めた。
多くの人の前で自分の人生について話すことに、まったく不安がないわけではなかった。
だが、話しているうちに、聴衆の目がだんだん輝いてきたのが感じられ、語り口にも自然と熱が入っていった。
40分ほどの講演が終わった。
その後に待っていたのは、途切れることのない質問の声だった。結局、予定時間を大幅に伸ばすという異例の措置がなされ、講演は大盛況のうちに幕を閉じた。
そして2014年、株式会社テラの代表取締役として、二週連続でFMラジオに出演。
第一週は藤田自身と株式会社テラについて、第二週は藤田が力を入れている「感性はぐくむ街づくり」について語った。
ラジオは生の講演と違い、長時間語っても番組の尺に合わせて編集されることになる。それに、声だけで思っていることを伝えねばならない。
どのように編集されるのか、この言い方でうまく伝わるのだろうか、と初めてのことで戸惑いもあったが、収録は一発でOKとなった。
番組は無事に放送されたが、この話には後日談がある。 とある企業の社長が、「藤田さんのお話を偶然ラジオで聞いて、感動しました」と自宅まで訪ねて来てくれたのである。
自分の話を聞いて心を動かされ、わざわざそれを伝えにきてくれる人がいる。
藤田は「思いを届ける」ことの大切さを改めて噛みしめていた。
TERAが始まって20年。様々な団体の代表として活動することも多くなり、人前で話す機会がますます増えた藤田だが、どれほど多くの講演を経験しても、いや、むしろ経験を重ねるたびに一層、人に「伝える」ことの難しさを強く感じるようになっていた。
いかにして人に伝えるか。どう伝えれば人の心を動かせるか。
それはTERAの根幹の一つである“コミュニケーション”の本質を追求することだ。
尽きることのないこの課題に、藤田とTERAはこれからも真摯に向き合っていく。